父が亡くなって預金通帳を調べてみると、生前に長男へ住宅購入資金として数千万円が渡されていた。
会社を経営する次男には、事業資金としてさらに多額の資金が提供されていた。
あるいは、亡くなる数年前から預金口座から多額の現金が繰り返し引き出されているものの、何に使われたのか分からない。
このような場合、他の相続人としては、
「生前にもらった分も含めて公平に分けるべきではないか」
「誰かが勝手に親のお金を使ったのではないか」
と考えるでしょう。
しかし、ここでは問題を分ける必要があります。
生前に本人の意思で与えた財産なのか。
それが特別受益として遺産分割で考慮されるのか。
本人の意思によらない預金引出しだったのか。
返還請求できる金銭なのか。
これらは、それぞれ法律上の問題が異なります。
本ページでは、多額の生前贈与や使途不明金が問題となる相続について、追及する側と追及される側の双方から、証拠と実務上の判断を整理します。
目次
特定の相続人だけが、多額の援助を受けていたら
― 生前贈与・特別受益・使途不明金をどう調べ、どう整理するか ―
1. 特定の相続人への多額の生前支援は、遺産分割でどう扱われるか
相続人の一人だけが、被相続人から生前に多額の援助を受けていた。
このような場合に問題になる制度の一つが「特別受益」です。
共同相続人の中に、被相続人から遺贈を受けたり、婚姻・養子縁組のため、あるいは生計の資本として贈与を受けたりした者がいる場合には、一定の場合、その利益を考慮して具体的な相続分を計算します。
これは、単純に贈与された財産そのものを遺産へ取り戻す制度ではありません。
生前に特別な利益を受けた相続人と、そうでない相続人との間で、遺産分割上の公平を図る制度
と考える方が正確です。
1-1. 住宅購入資金・事業資金・海外留学費用は特別受益になるか
典型的に問題になるのが、住宅購入資金です。
親から数千万円の住宅購入資金を提供された場合などには、「生計の資本としての贈与」に当たるかが問題になります。
事業資金についても同様です。
子供が会社を設立する際に多額の資金を提供した。
家業を継ぐ子供だけに事業用不動産を与えた。
非上場株式を無償で移転した。
こうした場合も、具体的事情によって特別受益が問題になります。
一方、学費や留学費用については、
「高額だったから当然に特別受益」
とは限りません。
家庭の資産状況、親の社会的・経済的状況、他の兄弟への教育内容、支出の目的・程度などを踏まえて判断する必要があります。
つまり、金額だけでなく、その家庭において通常の扶養・教育の範囲だったのか、それを超える特別な財産的利益だったのかが問題になります。
1-2. 「10年以内の贈与だけ」という理解には注意が必要
ここは現在の相続実務で誤解されやすいところです。
2021年(令和3年)の民法改正(2023年4月1日施行)により、相続開始から10年を経過した後の遺産分割については、原則として特別受益や寄与分を反映した『具体的相続分』ではなく、法定相続分または指定相続分によって分割するという期間制限(民法904条の3)が設けられました。
なお、この規定の適用があるのは「2028年4月1日か相続時から10年経過時の、いずれか遅い時期となる」旨の経過措置(附則)が設けられています。
したがって、
「死亡前10年間に行われた贈与だけが特別受益になる」
という制度ではありません。
また、これは遺留分算定における生前贈与の10年ルールとも別の問題です。
さらに、相続税における生前贈与加算も別制度です。国税庁も、相続税の計算に加算する暦年課税の贈与について独自の期間を定めています。
「10年」という同じ数字が出てきても、遺産分割、遺留分、相続税では何のための期間なのかが違うことに注意が必要です。
1-3. 被相続人が「持ち戻さなくてよい」と考えていた場合
被相続人が、
「長男には家を建てるために3,000万円を渡すが、これは将来の相続とは別に与える」
と考えていた場合には、「持戻し免除の意思表示」が問題になります。
この意思表示は、必ずしも遺言書などの明示的な書面だけで問題になるわけではありません。
贈与の目的、当時の家族関係、他の相続人への援助、被相続人の発言などから、その意思が争われる場合があります。
したがって追及する側も、
「多額の贈与があった」
と証明するだけでは足りない場合があります。
逆に贈与を受けた側も、
「父が自由に使ってよいと言った」
という説明だけで当然に持戻しが免除されるわけではありません。
贈与の事実と、被相続人が相続時にその利益をどう扱おうとしていたのかは、分けて立証する必要があります。
1-4. 特別受益の価額をいつの時点で評価するのか
金銭そのものを贈与した場合だけでなく、不動産、非上場株式、有価証券などを生前に贈与していた場合には、
「いくらの特別受益として扱うのか」
が問題になります。
ここでも、
「贈与したときの金額で固定される」
とは限りません。
特別受益を反映した具体的相続分を計算する際には、原則として相続開始時を基準として贈与財産の価額を評価するという考え方が基本になります。
そのため、贈与後に不動産価格や株価が大きく変動している場合には、評価が重要な争点になることがあります。
特に非上場株式や収益不動産では、贈与の有無だけでなく評価方法そのものが紛争になることがあります。
2. 生前の預貯金引出し・使途不明金をどう調査するか
特別受益とは別に、相続で頻繁に問題になるのが「使途不明金」です。
たとえば、父が亡くなる数年前から、
100万円、200万円、300万円……
という多額の現金引出しが続いている。
しかし本人は入院していた。
同居していた長男が通帳とキャッシュカードを管理していた。
このような場合、
その金銭は本人が使ったのか、贈与したのか、それとも誰かが無断で取得したのか
を確認する必要があります。
2-1. 認知機能が低下した後の不自然な出金
重要な手掛かりの一つが、被相続人の状態と出金時期との関係です。
被相続人が元気な時期の50万円の引出しと、重度の認知機能低下後に繰り返された50万円の引出しでは、意味が違う可能性があります。
そこで、
銀行取引の時系列と、本人の生活・医療・介護状況の時系列を重ねる
ことが重要になります。
ただし、
「認知症だった=すべての出金が無断だった」
ということでもありません。
本人の能力、管理状況、具体的な出金目的を個別に確認します。
2-2. 銀行取引履歴と医療・介護記録を照合する
使途不明金の調査では、まず金融機関の取引履歴を確認します。
単に出金額だけを見るのではなく、
ATMなのか、窓口なのか、振込みなのか。
誰の口座へ送金されたのか。
同じ日に別の資金移動がないか。
定期預金の解約や証券売却と連動していないか。
などを確認します。
そして必要に応じて、診療録、看護記録、介護記録などと照合します。
たとえば、
「本人が自分で銀行へ行って引き出した」
という説明がされても、その時期には長期入院していたことが客観的資料から分かる場合があります。
金融記録と生活記録を一つの時間軸に並べることが、使途不明金調査の基本になります。
2-3. 「親のために使った」という説明をどう検証するか
追及された側から、
「全部、父の生活費に使いました」
「介護費用でした」
「家の修繕費でした」
という説明がされることがあります。
もちろん、本当に被相続人のために支出したのであれば、直ちに返還すべき金銭とはいえません。
問題は、その説明を裏付ける資料です。
領収書、振込記録、請求書、介護費用、医療費、家計簿などと照合します。
また、
月々の生活費として説明できる金額なのか。
数百万円単位の現金が本当に必要だったのか。
被相続人自身の他の収入・支出と整合するのか。
を見る必要があります。
追及する側にとっても、単に、
「領収書がないから横領だ」
と決めつけるのではなく、説明可能な支出と説明困難な資金移動を分けることが重要です。
2-4. 遺産分割と返還請求は同じ手続とは限らない
使途不明金の問題で特に注意したいのは、
遺産分割調停ですべて解決できるとは限らない
ことです。
相続開始前に相続人の一人が被相続人の預金を無断で取得していたのであれば、被相続人がその者に対して持っていた返還請求権等が相続されている可能性があります。
その法的構成として、不当利得返還請求や損害賠償請求などが問題になることがあります。
そして、相続人間で事実関係について合意できない場合には、遺産分割とは別に民事訴訟で争う必要が生じることがあります。
したがって、
遺産分割の問題なのか、返還請求の問題なのか、両方をどの順序で進めるのか
を最初に整理する必要があります。
なお、死亡後に無断で引き出された預金については、他の相続人全員の合意があれば遺産分割手続の中でまとめて解決できる特例(民法906条の2)もあります。
3. 多額の生前贈与・使途不明金を立証するための証拠収集
この種の紛争では、
「兄だけが何千万円ももらっていたはずだ」
「姉が母の預金を勝手に使ったに違いない」
という疑いだけでは足りません。
最終的には、
いつ、どこから、いくら動き、誰が受け取り、何に使われたのか
を資料によって具体化していく必要があります。
3-1. 文書提出命令・弁護士会照会などの利用
訴訟になれば、必要に応じて文書提出命令などの証拠収集手続を検討することがあります。
また、弁護士が受任した場合には、弁護士法23条の2に基づく弁護士会照会を利用できる場合があります。
もっとも、
「弁護士照会をすれば何でも開示される」
わけではありません。
照会先、照会事項、必要性、守秘義務や個人情報との関係などによって回答の可否は異なります。
そのため、まず手元資料から仮説を立て、
「何を確認すれば、どの争点を立証できるのか」
を絞って照会することが重要です。
3-2. 贈与税申告について確認できる制度もある
税務署に対して、
「兄が過去に提出した贈与税申告書を全部見せてください」
と自由に請求できるわけではありません。
ただし、相続税法上、一定の場合には、相続税の申告や更正の請求に必要な範囲で、他の相続人等が被相続人から受けた一定の贈与について、贈与税の申告内容に関する金額の開示を請求できる制度があります。国税庁も対象者、対象となる贈与、請求方法を公表しています。
したがって、
税務署に行けば過去の贈与をすべて調査できる
と考えるのも、
税務情報だから何も確認できない
と考えるのも正確ではありません。
制度の対象範囲を確認して利用する必要があります。
なお、相続税における生前贈与加算の期間(暦年課税)については、令和5年度税制改正により、2024年(令和6年)1月1日以降に行われる贈与から従来の「3年前まで」から段階的に「7年前まで」順次延長されています。
3-3. 資金の流れを出口側から追う
大きな資金移動では、被相続人の口座から出たところだけを見るのではなく、その先を考えることも重要です。
たとえば、
父の定期預金3,000万円が解約された。
その直後に長男がマンションを購入している。
あるいは、同時期に非上場会社への出資、有価証券購入、借入金返済が行われている。
このような場合には、資金移動の時期と取得財産の時期を照合します。
もちろん、時間的に近いだけで同じ資金だと断定はできません。
しかし、
入口である被相続人の口座と、出口である取得資産・返済等をつなげて検討する
ことで、事実関係が明確になる場合があります。
3-4. 「認めさせる」より、説明せざるを得ない事実を積み上げる
元案の「心理的・法的アプローチ」は、公開記事では少し表現を変えた方がよいと思います。
目標は、自白を迫ることではありません。
銀行記録、医療記録、不動産取得資料、メール、領収書などを時系列に整理し、
「この300万円は何に使われたのか」
「この送金先は誰なのか」
「この時期、本人は自分で金融機関へ行ける状態だったのか」
と、具体的に説明を求めます。
抽象的に、
「使い込んだでしょう」
と追及するより、
相手方が一つ一つ説明しなければならない客観的事実を積み上げる
方が、交渉でも訴訟でも有効なことがあります。
4. 生前支援を受けた側・使途不明金を追及された側の防衛
この種の問題では、追及する側だけが正しいとは限りません。
長年親を介護してきた相続人が、親の依頼で預金を管理していた。
親が自らの意思で住宅資金を援助した。
家業を継ぐために事業資金を受け取った。
そのようなケースもあります。
したがって、追及された側にも、事実に基づいた防衛が必要です。
4-1. 通常の生活費・教育費・扶養の範囲だったという反論
親から子への金銭提供が、すべて特別受益になるわけではありません。
通常の生活費、教育費など、その家庭の経済状況等に照らして扶養の範囲内と評価されるものまで、当然に特別受益になるわけではありません。
そこで、
援助の目的、金額、期間、親の資産・収入、他の兄弟への援助状況
などを具体的に示します。
単に、
「生活費だった」
と名前を付けるのではなく、その家庭において通常の扶養として合理的な支出だったことを説明する必要があります。
4-2. 被相続人自身の意思による贈与だったことを示す
使途不明金として追及されても、実際には本人自身が贈与していたという場合があります。
その場合には、
贈与契約書、手紙、メール、メッセージ、日記、銀行手続資料、家族への説明など
が手掛かりになります。
ただし、
「親は感謝していた」
ことと、
「数千万円を贈与する意思があった」
ことは同じではありません。
金額が大きいほど、具体的な贈与意思と資金移動を結びつける資料が重要になります。
4-3. 介護・事業への貢献は、特別受益とは別に整理する
追及された相続人から、
「私は10年間、父を介護した。その分を考慮すべきだ」
という主張が出ることがあります。
この問題は、特別受益とは別に「寄与分」が問題になり得ます。
共同相続人ではない一定の親族が無償で療養看護その他の労務を提供した場合には、「特別寄与料」という別制度が問題になることもあります。
したがって、元案のように、
「特別寄与分で特別受益を相殺する」
と単純に考えるのは正確ではありません。
特別受益、相続人の寄与分、相続人以外の親族の特別寄与料は、それぞれ要件と制度が異なります。
もっとも、交渉全体では、長年の介護や家業への貢献が解決条件を考える重要な事情になることはあります。
4-4. 不当利得返還請求等では消滅時効も確認する
古い預金引出しについて返還請求を受けた場合には、消滅時効も検討事項になります。
ただし、
「使途不明金は○年経てば時効」
という一律の説明はできません。
不当利得返還請求なのか、不法行為による損害賠償請求なのか。
いつ権利を行使できるようになったのか。
いつその事実を知ったのか。
民法改正前後のどの規定が適用されるのか。
こうした事情によって検討が異なります。
したがって被追及側でも、古い取引だからという理由だけで資料を処分せず、出金の経緯、本人の意思、使途を説明できる資料を確保することが重要です。
まとめ──「いくら動いたか」だけでなく、「なぜ動いたか」を調べる
多額の生前贈与や使途不明金が発覚すると、
「兄だけが得をした」
「姉が親の金を使った」
という感情的な対立になりやすいものです。
しかし、法的に整理するには、
贈与だったのか。
特別受益なのか。
持戻し免除があるのか。
本人のための支出だったのか。
無断取得だったのか。
返還請求権があるのか。
を一つずつ分けなければなりません。
そして、金額が大きくなるほど重要なのは、推測ではなく、銀行取引、医療・介護記録、不動産や有価証券の取得状況、税務資料などを時間軸に沿って組み立てることです。
当事務所では、生前贈与や使途不明金だけを切り取るのではなく、遺産全体、過去の資金移動、相続人間の利益、証拠の強弱、訴訟になった場合の見通しを整理し、どこまで追及し、あるいはどこで紛争を収束させるのかを検討します。
多額の生前贈与や預金引出しがあり、単純な遺産分割では整理できない場合には、事情をお聞かせください。
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